ドゥカティの歴史

創業からオートバイの製造

ドゥカティは古代ローマ時代から続く、イタリアの名家です。
ボローニャ地方で主に拠点を置き、ルネッサンスの時代には医学や技術者を多く輩出した名家でもあります。

なかでも1880年代にアントニオ・カヴァリエーリ・ドゥカティが水力学や鉄道関係の技術かとして工場を作り上げました。
推力と発電の関係性は高くいずれ電力関係の産業に参入するきっかけとなりました。

アントニオの息子に当たるアドリアーノは電気産業に深い関心を持ちアメリカ合衆国と交信に成功しました。
これをきっかけに無線通信や放送事業に大きな関心を持ち兄弟と共にドゥカティを共同設立しました。

その後ボローニャとミラノに巨大工場を作り、電子部品の大量生産に成功し従業員も7000
人という大企業になりました。
当時はラジオや無線関係の部品でしたが、インターホン、蓄音機、フィルム映写機、電気シェーバー、電動計算機など次々と新製品を発売して有名電機メーカーになっていきました。

しかし第2次世界大戦をきっかけに、産業は大きな被害を受けてしまいました。
当時トリノの原動付自転車のクッチョロを発売していたシアタがエンジンのOEM生産先を探していたため、ドゥカティがエンジンを生産することになりました。
この出会いがモーターバイクの事業に参入するきっかけになりました。

レース参戦と開発

1954年に技術者のファビオ・タリオーニがドゥカティに加わり、開発したのがマリアンナです。
マリアンナは長距離レースで1955年から1957年まで王者として君臨してきました。
ドゥカティは開発当初からレースに積極的に参戦するメーカーでした。
そしてレースでの結果で得たデーターを活かして、一般車道で走るバイクの開発に積極的に取り組んでいました。

多くバイクユーザーに魅力的と感じられる車両を作り続けて、さらにレースでは数ある賞を獲得し続け、ドゥカティの名を広め、認められるメーカーに成長しました。

1970年には今の主力商品となっている、大排気量Lツインの元祖となった750GTがミラノショー発表されました。
1983年には、ガジバと提携を結び新たな製品をたくさん生み出すことになりました。
その後1985年にはガジバの傘下となったあともドゥカティは様々なレースに出場して多くのバイクを開発してきました。

その後の活動

1998年になるとガジバの傘下からテキサスのパシフィックグループの傘下に移りました。
その後傘下に入っても、2003年にはロードレースの世界最高峰のMotoGPクラスでホンダやヤマハに続き勝利を挙げる実績も残しています。

2012年にはアウディがドゥカティを傘下に持つインベストインダストリアル・ホールディングスを買収し、フォルクスワーゲングループの傘下になりました。
Lツインモデルに関しては、多くのモデルチェンジを繰り返し、多くの人にドゥカティのバイクが愛用されてきました。