MVアグスタの歴史

航空機メーカーからスタート

1907年、アグスタ伯爵が、イタリアで航空機を作るメーカーとして会社を設立し、主にヘリコプターを作っていました。
しかし第二次世界大戦が終わると、イタリアは敗戦国となり、飛行機の製造を禁止されます。
アグスタ伯爵は、当時すでに4輪レースで活躍していたフェラーリを見て、バイク界のフェラーリを作ろうと決心します。
ちなみに社名のMvは力学のMeccanicaと、地名のVergheraの頭文字を取っています。

バイク製造事業に参入すると、すぐさま、ベネリやドゥカティから技術者を引き抜きます。
こうして、技術を獲得していき、高性能バイクを生み出します。
やがてレースに参加するようになると、WGPで圧倒的な強さを見せます。
タイトルを総なめする時代が20年近く続きます。

この強さの理由が、先進的な技術であり、1958年のこの時代にして、すでに並列4気筒のエンジンを完成させていました。
ホンダが1940年創業であり、同じエンジンのCB750FOURを作る、20年近く前にエンジンを完成させており、これには本田宗一郎が驚き、工場まで見学に来たと言います。

しかし、1971年になると、アグスタの転機が訪れ、社長が急死し、弟が社長として経営を引き継ぎます。
この頃になると経営困難になっており、当時好調の航空機製造に一本化するために、1977年にバイク製造から身を引きます。
こうして、アグスタのバイク製造部門の歴史は幕を閉じ、航空機製造は、アグスタウェストランドとして残っています。
航空機に関しては、やはりヘリコプターが強く、山間警備のヘリに使われることが多いです。

17年間レースで勝ち続ける

アグスタを語る上で欠かせないのが、レースでの圧倒的な強さでしょう。
ホンダが初めてロードレース選手権に参加した1958年に、アグスタはWGPの500ccクラスに参加します。
この58年から74年までの17年間、WGPの500cc部門で、年間タイトルを獲得します。

ただヨーロッパでは、60年代ごろから、自動車の発展によって、バイクはあまり人気がなくなります。
アグスタはこの頃になると、500ccモデルをベースに、750ccのバイクを開発します。

1974年のこの頃からは、日本の2気筒エンジンバイクが、レースで台頭してきて、アグスタの技術に追いついてきます。
その後75年、76年とタイトル獲得はできず、76年をもってレースから撤退します。

その後は、カジバグループがMVアグスタの商標を獲得し、ブランドとバイクを復活させます。
しかし、なかなか経営は上手くいかず、いくつかのメーカーにアグスタは売却され、やがてカジバグループに里帰りし、今は一族により経営されています。