マラグーティの歴史

自転車製造からオートバイへ

数ある海外メーカーの中でイタリアを代表するバイクメーカーといえば、マラグーティです。
マラグーティは1930年に生まれた会社です。
当時は自転車の製造を主に行い、従業員15人と小規模な会社でした。

大きな転機を迎えたのが第二次世界大戦後です。
ドイツのエンジンを利用して軽量なモスキートというスクーターを開発しました。

それから1960年に入り始めてイタリアの都市部などでは渋滞が起きることが深刻な問題になっていました。
そこで渋滞に巻き込まれても関係なく走行しやすいスクーターは、通勤手段や日常生活の移動手段として活用されるようになると考えました。
マラグーティはバイクの中でも50ccの小型車の製造だけを中心に行う経営に切り替えていきました。

1975年に発表したFiftyはフレームを燃焼タンクとして活用して作られました。
その画期的な機能によりイタリア内ではリーダー的な存在として活躍していくことになります。

イタリアで一番

マラグーティがイタリアで一番といわれてきたのも今までのスクーターにはない美しいデザイン性と職人的エンジニアリングにあります。
スクーターの市場自体を大きく変化させるものとなり、スクーターメーカーとしてイタリアでは確固たる地位を築き上げてきました。

それはイタリアだけでなく、ヨーロッパ全体でもマラグーティの存在は大きいものになっています。

イタリアは芸術国でもあり、デザインの国でもあります。
その中で高いデザイン性を評価されているマラグーティのスクーターは、誰にも追いつくことができない魅力です。
マラグーティの社長の言葉にも、マラグーティのスクーターは世界で一番素晴らしいデザインだと自負しています。
それだけの実績と多くの支持があるからこそ、イタリアだけでなく世界中に愛されるスクーターとなっています。

日本でも支持されている

1992年にはF10でスクーターメーカーとして大きく前進し、その後新型モデルとして開発されたCentro、F12ファントム、クロッサー、イエスタディなどイタリアで記録的な売り上げ台数を誇っていました。

そしてその人気は徐々にイタリア以外でも世界中に広がっていくことになります。
1999年には全生産の3割を海外に輸出するほど積極的に海外進出しています。

特に日本で支持されるようになったのも日本製品にはない優雅なデザインが印象的なMADISONシリーズが日本で多くのファンが生まれました。
日本でもMADISONを扱う正規店として認められているお店があり、その美しいデザインにスクーターとは思えない魅力を感じられます。

今ではボローニャ郊外に6万㎡の工場が4つもあり、従業員も400人以上の大きな企業へとなっています。
イタリアにとってマグラーティのバイクは高品質の代名詞となっています。