トライアンフの歴史

操業から有名メーカーに躍進

1885年に、イギリスでドイツ人のジーグフリード・ベッドマンが会社を設立し、貿易会社としてトライアンフは始まりました。
この設立間もないころから、コベントリーに自転車工場を造り、時代に流れに乗り、一気に自転車が売れていきます。
自転車での成功を収めると、すぐさま、バイク製造も開始し、1902年にバイクは作られ始め、これも一気にイギリスに広まっていきます。

第一次世界大戦を経て、1936年には、ジャック・サングスターが経営者となります。
アリエル社を立て直した人物であり、そこから図面を入手し、ツインエンジンを開発します。

こうして1937年になると、スピードツインというモデルが誕生します。
アリエル社のバイクは4気筒が多かったですが、この時代は単気筒のバイクが多く、その中で、スピードツインはツインエンジンを積んでおり、珍しいこともあり、人気を得ます。
また、自転車なども製造していましたが、経営方針を見直し、バイク一本にして、自転車製造工場などは手放しました。

第二次世界大戦になると、トライアンフもミリタリーモデルが主流となり、会社の稼ぎ頭となり、戦争では5万台も製造します。
ただコベントリーは、この戦争で爆撃を受けて壊滅し、工場はメリデンに移されました。
ツインエンジンの他に、シングル系のバイクも製造するようになり、そのモデルをどんどん広げていきます。

その後は1949年にはサンダーバードを、1957年にはボンネビルと、名車を誕生させていきます。
ボンネビルにおいては、これまでエンジンとトランスミッションが別であったものを、一体にして、ユニットモデルと言われるようになります。
ボンネビルのデビュー当時は、ファーストボニーと呼ばれており、とても印象を与えました。

ボンネビルは、タイガー110をベースにして作られており、アメリカのボンネビル平原から、そのまま名前を取っています。
1956年に、この平原でストリームライナーというモデルに乗り、345km/hを記録したことにより、命名されます。
ストリームライナーをその後、ツインキャブにsちえ、一般用に全体仕様を整えたモデルが、ボンネビルです。

アメリカで売れたバイク

1936年には、ビルジョンソン操業のジョンソンモーターズが、アメリカに偵察に来たトライアンフと契約し、正規ディーラーとなります。
そしてカリフォルニアなど、西海岸を中心に、トライアンフとしては、最大規模の売り上げを上げました。

ジョンソンモーターズは、レースを積極的にサポートした販売店でもあり、ライダーのスポンサーにもなりました。
その1つがボンネビル平原でのスピード競争があります。
特にカリフォルニアは、60年代はバイクレースのメッカであり、レースに参加したトライアンフも認知され、イギリスよりもアメリカの方が売り上げが多かったのです。