モトグッツィの歴史

3人が会社を設立する

第一次世界大戦中に、レーサーのジョヴァンニ・ラベッリ、御曹司のジョルジョ・パローディ、エンジン屋のカルロ・グッツィという3人によって、軍部内でバイク話え意気投合します。
バイク熱は冷めこまず、戦争が終わったら3人でバイクを作ろうと言う話になり、戦後の1920年に3人のおじさんがバイク製造を始めます。

終戦間もなく、ジョヴァンニ・ラベッリはテスト飛行のときの事故により、亡くなってしまいます。
残された2人は、3人の夢であるという事を示すために、イタリア空軍の鷹のロゴを会社ロゴに使います。

社名に関しては、残った2人の名前を取り、パローディ・グッツィに使用というのは元案でした。
エンジニアの名前を全面に出すべきだという話になり、最終的にモト・グッツィに決まります。
こうして翌年の1921年にバイクメーカーとしてスタートし、イタリアのメーカーとしては、最古参となります。

最初のバイクはNormaleであり、4気筒エンジンを搭載し、高い耐久性を示し、1940年代に入ると、イタリア最大バイクメーカーとなります。
1950年代には、50cc~500ccまでラインナップし、レースにも積極的に参加します。
バイクにカウルを最初に持ち込んだメーカーです。

しかし順調に見えた経営は、レース参加費用の増大、パローディ家の破産、カルロ・グッツィの死亡など経営は苦しくなっていきます。
そのような中で、国からのバイク製造依頼や、白バイ製造などをしていき、新しいバイクも生産します。

最近になると、2気筒エンジンを縦に積んでいる、他のバイクとは見た目の変わったユニークなモデルを発売しています。
ただレース参加費用などにより経営難になってしまい、ピアッジオグループに買収されて、その傘下に入りました。

生産効率の悪い工場

モトグッツィはイタリアに工場を構えており、土地がない地域に工場を造ったために、その生産ラインはとても効率が悪くなっています。
一度も創業から本社工場を移転してはいませんが、成功して市場が拡大するとともに、生産数も拡大し、それにともない、工場は縦に拡張していきます。

3階建ての工場は、3階部分が最終組み立てラインを作り、3階ででき上がったバイクは、屋上に持って行きテストし、その後クレーンで地上に運ぶという流れでした。
この非効率な方式での生産は、何年も続けられました。
しかし、ピアッジオグループに買収されると、そのCEOがすべてを改善します。

工場として外からの見た目は変わりませんが、中の生産ラインは見直され、すべての生産ラインを工場内に納めています。
また、必要なくなった一部の古い設備は、撤去して取り払われました。